観ました: 劇場版魔法少女まどか☆マギカ新編 叛逆の物語

観て来ました。渋谷で、きのうの16:15からの回です。
とても良かった。
特に、あの溶鉱炉に沈んで行くシーンには感動しました(挨拶)。


観る前に幻視したのとはまったく違うお話でした。観た後には、あれしか無かったという気がするものですね。

映画館を出てすぐに気になったのは、リボンですね。きちんとそれを確認しながら観るべきだった、と思いました。そこまで気が回りませんでした。まあ、こういうことは、探せば誰かがチェックして書いているのが見つかるんでしょう。

ほむらは、ああいう人なんだと思います。私は、概念化してしまったまどかを彼女が引き摺り下ろして元に戻すんだと思って観に行ったんですが、逆でした。同じ段階に上がる話でした。
言われてみればなるほど、引き摺り下ろすような人じゃないんですね。まどかがただの魔法少女に戻ってしまったら、魔法少女たちは救済を受けられなくなってしまいますが、それでは、まどかの「願い」が叶いません。ほむらは基本的にまどかを肯定するから、そんなことはできない。じゃあどうするのかというと、あれしか無かった。
そういう話だったんだと思います。それだけ。

私がもともとまどかマギカに感じていた、「構造の隠蔽で幸せになりました、で終わらせちゃうのはちょっとなあ」という不満は解消されなかったわけですが、今回、席を立ってしばらくの間は、そんなことは忘れていました。何でだろうと考えてみるに、この劇場版を観るにあたって、評価の基準をまどかによる介入のなされた世界に置いていたからです。
ひどく雑な書き方をしますが、あの世界を差し引けば、ほむらは幸せだしまどかの願った条件は満たされたままだしみんな生きているし、不満が無いわけです。欲を言えば、魔法少女として幸せになってほしかったというのはあるんですが、それはできないことなんだから仕方が無い。
これはハッピーエンドだと思うんですけど、そう言ってる人はどうやら多くないようです。えー?